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![]() ![]() ![]() | くまみこ |
![]() くまみこ 雨宿まち ぬいぐるみ (発売予定日:2016年8月25日) |
都会に憧れ田舎を出たいと願ってる以上それを否定して田舎に拘束するわけにはいかない でもまちが都会にすんなり順応するような少女なら物語がすぐに完結してしまう だから表向きはまちの田舎コンプの克服を応援する作品なんだけど、何かしら理由をつけては(まちを極端にぽんこつにしたり、まちが酷い目にあったり)田舎に留まる元サヤに話を収め続けなきゃならない こういう矛盾する圧力で相手の意思や行動を抑圧することをコミュニケーション理論ではダブルバインド(二重拘束)と呼んでるんだけど、こういう機能不全の関係は親子の間にもよく現れる くまみこで言えば物語構造そのものがまちをダブルバインドにさらしてるようなもので、だから視聴者が少女の成長譚として作品を楽しもうにも作品自体がそれを抑圧してるもんだからなんだか梯子を外された気分になるんだよ |
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> 少女の成長譚として作品を楽しもうにも 根本から間違っとる ここの板に書き込んでるほとんどの人は成長物語なんぞ期待してない オリジナル話の脚本家は成長物語にしたかった節があるがな |
あとからまちちゃんを極端にポンコツにしたんじゃなくて、実は最初からポンコツだったりする 原作1話からもう「気が引けて服を買いに行けない」「極度の機械音痴」「Suicaを知らない」 さらにユニクロ回(原作4話)時点で「地図や時刻表の見方」はおろか、 「電話のかけ方」や「テレビの付け方」を覚えなきゃいけないこととして指摘されるほど・・・ |
もっとのんびりした気持ちでまちちゃんの成長を見守ってあげてくれ 人より歩みは遅いかもしれないけどまちちゃんだってがんばってるんだ だから基本はシュールギャグとして読みながまちちゃんが成長するのをじっと辛抱して見守る漫画だぞ |
一応原作ではちょっとずつ成長してるんだけど アニメだと順序入れ替えとかもあってどんどんひどくなってるように見えてしまうよね アニメで初めて見る人は梯子外された気になるのも分かる |
これではまるでまちを村に引き留めるために、理解者ヅラして街へと送り出しトラウマを与えて都会への憧れを挫かせるペドベアーで、 本来なら父親の共感を呼ぶはずのナツの本音と建前のシーンもどこか生々しさが伴って引いてしまう このアニメ、ポンコツ娘を狭い田舎に閉じ込めてイジり倒す意地の悪いコメディ(本音)と、娘の成長を後押しし見守る父性的良心(建前)を等量で描こうとするあまり、両者が思いっきりケンカしちゃってるんだよなあ 前者がメインの作風なら心置きなくまちをペロペロしていられたのに・・・ |
どう考えても前者がメインの作風だから、心置きなくペロペロしてるわ |
概ね意見は理解できるんだけどちょっと違うかもとも思う 要するにこの作品は父親不在なんだよ。ナツは見てる側から勝手に役目を与えられてるだけで実際はただの共依存の幼馴染 立場上たまに親目線になったり理解者ぶったりするけど所詮は引きこもりと一緒に育った甘えん坊のクマでしかない アニメはもっとその事実をちゃんと描いとけばここまで荒れなかったと思うんだけどなぁ 曖昧なまま進んでることが多すぎるよね |
なるほど 抑圧的な物語構造とナツの立ち位置は切り離して考えた方が良さそうだね 原作読んでないんで分からないけどナツが幼馴染ポジってのは確かに回想シーンとか見ると納得できるかも |
熊を父親としてみるのはありがりな間違いだよ くまみこはまちちゃんだけじゃなく熊も成長して 気が変わったりするからそういう目線も持つとおもしろい |
でもアニメ見る限りではナツがそういう立ち位置にしか思えないんだよなあ OPの歌詞だって娘が父親に向けた言葉を綴ったものだし ナツの成長がどんなものか知らないけどそれって子離れみたいなものとは違うんかね? |
たしかにOPはそういう歌だな あとここまで熊とまちちゃんが無邪気に遊ぶシーンが少ないから友達感が少ないかもしれない ナツを父親として見てはいけない理由があって やさしい熊さんは最後にまちちゃんの責任を取ってくれる立場にはいなくて家族のように見えても実際は無責任な他人でしかない 父親として考えるとまちちゃんの教育や成長の責任が生じるけどそんなもの熊は持ってないのであれこれ言ってても熊は気楽な友達として見ないと いろいろと矛盾が出てきちゃう 例えばビレバンに行って疲れて帰ってきたまちちゃんに向けて熊は冷たい言葉を浴びせかけるけど あれはまちちゃんのことを想ってくれる父親ではなくて 都会行きを止めさせたいって自分の欲求を優先させてる個人的な熊であって その上熊としても大人のような思いやりをまだ持てないナツの未熟さが現れてるシーンでもあるわけだ じゃあ熊が親じゃなかったら誰が親でまちちゃんに責任持つんだって言うと それは作者とまちちゃんの亀のような成長をじっと見守る我々かなと思う OPは熊に向けた曲ではなくて俺たちに向けて歌ってるんだよ きっと |
ごめん寝落ちした 面白い解釈だと思った で、思ったんだけどもしかするとナツに対する解釈が原作者とアニメ制作との間で齟齬があるのかもしれない 俺がナツに父性を感じるのはあくまで制作の意図に親和したのであって原作者による意図とは関係ない それがアニメしか見てない人間と原作読者との感覚の違いに繋がってるのかなあ |
俺もアニ先だけど父性はあまり感じなかったな 熊手村の秘密の話もあって、当時の話題もナツの切ってる切ってないの去勢方法とかも盛んだったと思う 逆に昔の小熊シーンとかみると、まちがナツを年の離れた弟みたく思ってるって感じたな |
原作の話だと響に対してナツはまちの親っぽく振る舞うこともある まちから見たらナツは生意気な弟だと思う 原作読んでなくて11話受け付けないなら原作もダメだと思う(俺が言うの3度目) でも原作で妄想をこじらすのイオンとセンダイで石を投げられる2回だけだと思うけど 妄想ならナツの回想という名の妄想を増やしたほうが良かった |
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それとも都会に行くと駄々こねてナツに甘えてたいだけなのか?